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記念すべきレビューブログ第一回は大好きなホラー映画について書こうと思っていたのだが、なんとなくタイミングが合わず、結局あんまりよく知らないカリスマ俳優の作品レビューになってしまった。

しかし悔やんでも仕方がない。気を取り直していってみよう。


3月3日(ひな祭り)レイトショーにて鑑賞。

なぜレイトショーにしたかというと、チケット代が安いからである。それに尽きる。

安さでいえばレディースデーの方が上なのだが、基本ホラーは自室に閉じこもってひっそり観るのがベストだと思っているので、レディーたちの阿鼻叫喚に包まれながらの観賞は集中を欠く恐れがある。

地元の、昼間はファミリーで賑わっているであろう大型ショッピングセンターの敷地内にある映画館は、夜は面白いほど閑散としていて、ホラーを観るにはうってつけの環境なのだ。

実は1もこの映画館の、同じくレイトショーで観たのだが、観客は私も含めて6~7人しかいなかった。


右手にキャラメル味のポップコーン、左手にホットのカフェオレをもって意気揚々と入場すると、客席にはまだ誰もいない。
ど真ん中の席に陣取り、ポップコーンをほおばりながら上映を待つ。

開始時間が来て、客席が暗くなるも、誰も来ない。

予告が終わり、ポップコーンもあらかた食べ終わる(早食い)。しかし誰も来ない。

『本編終了後、衝撃の事実が!エンドロールが終わるまで席を立たないでください』
とかいう思わせぶりなテロップが出る。しかし誰ひとり来ない。


貸し切り決定。


たった1200円で貸し切りとは、このご時世に気前のいいことおびただしい。
人生初の僥倖に感謝しつつ、存分に堪能させていただきました。


私は子供のころからのホラー好きだが、大人になってから、ホラーに求めるものというか、ホラーの何を楽しみたいと思っているのかがだんだんと変わってきた。

子供時分から感性と感情表現に乏しい人間だったので実際そうすることはほとんどなかったが、昔はもっとホラーを観てわーとかきゃーとかおえーっとか言いたい願望があった。
今はそういうのがあまりない。


怪奇な現象が、人間の、ごくごくノーマルな生活の中にどう侵食していくのか、そんな時人間はどうなってしまうのか、原因は因縁なのか不運なのか自業自得なのか、そういうことが緻密に描かれている作品に出合うと、うーんとうなったり思わず感動してしまったり、いろいろと心が忙しくなって、貧弱な感性が少しは研がれていく気がする。

逆に、そういう設定とかすっ飛ばしたある意味ファンタジーの域に達しているホラーもまたいい。
なんじゃそりゃあーと突っ込みながらゲラゲラ笑って観てしまう。

恐とか驚とかはさておきむしろ、喜怒哀楽を感じたい、ホラーによって。そんな今日この頃なのです。


どうやら賛否両論あるらしいこの『パラノーマル・アクティビティ』シリーズも、そういう観点で見ると、とっても面白い作品だったと思う。

恐怖シーンがちょっぴりシュールなかんじだったのは、これが悪魔の所業だと思えば大いにうなずけるのだ。

だって悪魔(この映画に登場する悪魔は確か、それほど上級ではないという設定だったと思う)って、残忍で、卑猥で下劣で、その分変にお茶目だったりするもんだ、というイメージがある。
そのくせ独自のルールがあって、理由なく、いつでも好きな時に、誰彼構わず恐怖に陥れられるかというとそうではない。
虎視眈々とそのときを待つも、邪魔が入ったりタイミングが合わなかったりでなかなか手出しできないでいる悪魔の、歯噛みや舌打ちの音を想像しながら観るのもまた一興であった。


音と言えば、悪魔が悪さをする前には必ず、ずーぅぅぅんというかぶーぅぅぅんという音がするのだが、その時にシートの背もたれや肘掛けがびりびりと震えるような感覚があって、そういう仕様なのか?ゲームのコントローラーとかパチンコ台のハンドルとかがブルブルするアレみたいなやつか?と勘違いしかけたが、おそらく客席に誰もいなさすぎて音がよく響きすぎたせいなのだと思う。



そんなわけで、ひとり映画鑑賞は自室で観るのとはまた一味違う面白みがあった。
お金持ちがすぐホームシアターを作りたがる気持ちがよくわかった。


観終わってシアターを出ると、係員のお兄さんが手ずからドリンクとポップコーンの空容器を受け取ってくれた。
どうやら私が最後の客だったようだ。
こういうビップっぽい待遇もレイトショーの醍醐味か。



レビューブログと言いながら、今回も本編の内容にはほとんど触れずに終わってしまった。
今後もおそらくそうなるだろうな。


レビューブログにつきものの「ネタバレ」というやつを最後に申し訳程度にしておこう。


本編が始まる前に出たあの「衝撃の事実!」のテロップの正体はなんてことはない

続編がありますよお楽しみにね!

であった。


公開は秋だったか冬だったか、今年だか来年だかもう忘れてしまった。
でもまた観に行くと思う。

もちろんレイトショーでね。





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野獣死すべし デジタル・リマスター版 [DVD]
世の男性陣から今もなお、圧倒的な支持を受けている松田優作。


殊に演劇に携わる男性が、熱っぽく彼のことを語るときの異様に輝くまなざし。

を、飽きるほど見ているうちに本当に飽きてしまった。


まともに作品を観る前から、いかに彼が天才か、努力家か、数々の伝説をもっているか、あーだこーだとまくしたてられ「へーえ」と気のない返事でもしようものなら

『やっぱりオンナコドモには優作の良さはわからないんだ』

と、失望と優越感がないまぜになったような目で見られるわけだから、食わず嫌いになるのも無理はないのではなかろうか。
どうなんだろうか。ただの偏屈ですか。


そんなわけですっかり観るきっかけを失っていたのだが、10年以上の歳月をかけてコツコツと、私がドン引きしない程度の熱量で松田優作の魅力を説き続けていた夫が、これ観ようぜ、と至極ナチュラルなかんじで差し出してきたのがこの『野獣死すべし』だったのであった。


再生ボタンを押す前にひとくさり、夫からの解説あり。

松田優作はこの作品で、それまでのいわゆるアクションスターのイメージからの脱却を図っていたこと。
松田優作自身の持ち込みにより、主人公の人物像は原作とは大いに異なっていること。
役作りのために過酷な減量をし、それでも足りず奥歯まで抜いたこと。
後半にかけてかなり難解な展開になっていくが、あんまり気にしないこと。

「あとは……まあいいや、とりあえず観るか」

うじゃうじゃうっせーなもうみねえよ!
と私が口汚くブチギレるすんでのところで解説を終える、空気の読める夫。



いたるところに、既視感があった。

30年間食わず嫌いをしていたので、そんな順番のおかしい感想を抱いてしまうのだ。

その30年の間に私が散見した数々の物語の中の、偏執的で気味の悪い、それでいて異様に魅力的な造形の人物たちが次々とダブる。
リスペクトとかオマージュとかパロディとか、動機はいろいろで、意識的だったり無意識的だったりもいろいろだろうが、とにかくそれらのオリジナルがここにあった。ような気がした。

そこのところを念のため確認すると

「そうだ」

と、自信満々に答える夫。あ、出た、このテンション。ちょっとうざい。まあいいや。


舞台俳優の端くれとして大いに偏見があるのを承知で言わせていただくと、映画は圧倒的に監督のものだと思っている。
俳優の演技は監督によってキッタハッタされて原形をとどめていることはほぼないのではないか、と思うことすらままある。

でもこれは、なんだかこれは、これ完全に主演俳優が主導権を握ってしまっているのでは…?
という気がして、いつからか演じる側より撮る側に感情移入して観ている自分がいた。
まるで撮る側に挑むような、時には撮る側を試すような、挑発的な演技だった。

それでもフレームに収まりきらなかった部分を補うかのように、収められなかったことを悔やむようにスタッフたちが語ったのが、私も今まで散々聞かされてきた数々の「伝説」だったということなんだろうか。どうなんだろうか。


伝説は語り継がれるから伝説なのだ。


「リップ・ヴァン・ウィンクルの長ゼリフ、あれかなり長いけど、一度も瞬きしないで喋ったらしいぞ」

ホントかウソかわかんないけどな、伝説だから。という夫も、その伝説の片棒を自ら買って出て担いでいる人間の一人で、そんな人間が日本中に数えきれないほどいて、だから松田優作はスターなんだなあ。なるほどなあ。


30年分乗り遅れた私の反応は所詮こんなものだ。
こんなものにしとかないといけないと律している部分もある。

何しろもう50に手が届くおっさんが、今とは違ういろんな臭いを発していたであろう青少年の頃に、友達同士で松田優作のモノマネ(なんじゃこりゃあ以外にも色々と)をして過ごしていたわけで、そういう経験を持たないまま気が付いたら30年経っていた私はそれこそリップ・ヴァン・ウィンクルのように、浦島太郎のようにぽかーんと立っているしかないのであった。






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